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マチュピチュとはどんな場所だったのか? – 実際に人が住み、文化を形成していた山の上の街

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マチュピチュとはどんな場所だったのか? – 実際に人が住み、文化を形成していた山の上の街こんにちは、じゅんです。

マチュピチュの建物群

先週に引き続きマチュピチュの魅力をお伝えしたいと思います。

この写真を見て頂いても分かると思いますが、マチュピチュというのは一つの街として存在していました。

ここに住み、ここで農業を営み、各地域と交易もしていたそうです。

しかし、こんな所に住んでいた子供たちって何して遊んでたんでしょうかね?

走り回ってたら直ぐそこが崖で危険極まりないですもんね。

サッカーなんてやろうものならボールがいくつあっても足りないくらい直ぐに無くしてしまいそうです(^_^;

マチュピチュはただの要塞ではない、実際に人が住み、文化を形成していた

嘗てはマチュピチュはその特殊な地形から敵から逃れるための要塞だったと言われている時期もありました。

しかし最近の研究では、普通の人々が普通に暮らしていた街だったという説が有力なようです。

とは言っても、この地形なら必然的に要塞として敵からの侵入をかなり防げたのではないかと思われます。

神殿

マチュピチュ内には『神殿』と呼ばれる場所がいくつかあります。

この写真の場所もその1つなのですが、実際の使われ方が完全に解明されている訳ではないので、実は神殿と思っていた場所がただの居住空間だったという可能性はあります。

ネズミ型の岩

この岩も宗教儀式をしていた物の名残ではないかと言われています。

形がネズミっぽいと言われており、右側の低い部分が頭、背中が盛り上がり、お尻がちょっと突き出た感じ、ということでしょうか。

因みにペルーのネズミはこの『クイ』と呼ばれるもので、ペルー人にとっては貴重なタンパク源らしいです。

食べましたがちょっと匂いがきついかな、という気がしました(^_^;

クイ

意外に可愛かったりする(#^.^#)

ハイラムビンガムロード

山を登ってマチュピチュを上から見上げた所です。

写真真ん中やや上にマチュピチュの街が見えるのが分かるでしょうか?

手前のくねくねした所は『道』です。

ハイラムビンガムロードと呼ばれ、探検家のハイラム・ビンガムさんが見つけた道です。

我々が宿泊した麓の街アグエスカリエンテスとマチュピチュを結ぶ道でバスはここを通ってきました。

このブログを見て更にマチュピチュへの思いを募らせてくれたら幸いです(#^.^#)

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